北海道で撮影を始めた上田さんが、2007年から集中的に取り組んだのが大雪山のナキウサギの撮影でした。北海道中央部にある大雪山一帯は、北海道の屋根ともいわれ、日本一広大な国立公園となっています。
上田さんはこの広大なエリアに、山小屋の管理人などの仕事をしながら、長いときには100日間ほど滞在。稜線で撮影するときには、2〜3週間おきに食料を荷揚げしながらテント暮らしを続け、登山者が足を踏み入れることが少ない険しい山域も撮影してきました。
厳冬期に大雪山へ入るには充分な装備と経験が必要ですが、今回上田さんが撮影スポットとしてあげてくれたのは、上富良野駅から車で約30分とアクセスも比較的容易な、十勝岳温泉のあるエリア。
「僕はここでキタキツネや雪うさぎの足跡を追って撮影をしていました。温泉街から少し山を登るだけで時期によっては霧氷が見られることもありますよ」
上田大作「霧氷を纏ったダケカンバ」 夜にガスがかかり、それが冷やされると霧氷になります。
北海道でもっとも高所にあるこの温泉街は、標高約1300メートル。上田さんは温泉街の駐車場で車中泊をしていたところ、窓に鳥の羽根のように複雑な氷紋ができたと言います。このとき車内はマイナス25度。標高が高く厳しい世界だからこそ生まれる、神秘的な自然現象を体験できるスポットです。
上田大作「氷点下25度の自然の造形」 上田さんの車の窓ガラスに張った氷紋をマクロレンズで撮影した1枚。
「大雪山の魅力は広がりですね。奥行きが広い、女性的な山と言えます」
長いときでは3週間、山にこもることもある上田さん。大雪山にはヒグマも生息していますが、たったひとりでいることに恐怖を感じることはないのでしょうか?
「やっぱり相手を知ることですよね。怖いというのは自分のイメージですから。たとえばヒグマについては凶暴に描いた物語などがあるから怖いと思われていますが、本当はとても臆病な動物。とくに大きく成長しているクマは警戒心が強い。警戒心の弱いクマは若いうちに駆除されることも多いですからね」
ヒグマの性格はさまざま。人を見ると追いかけてくるクマもなかにはいますが、登山者が身につけているクマ鈴の音が聞こえると、接触を避けようと離れていく場合が多いのだそう。上田さんは長年観察するなかで、大雪山の登山道に現れた岩のような大きなヒグマが、木陰で小さくなって辺りを見回し、人がいないとわかると逃げるように走っていく姿を何度も見ていると言います。また自分が活動するフィールドにいるヒグマを上田さんはすべて個体識別しており、信頼関係を築くことができたクマを撮影しているとのこと。大雪山の白雲小屋周辺にいたヒグマの親子の写真は、2か月間、ずっと山の上で生活をし、徐々に自身の存在をヒグマに知ってもらうことで、撮影できた1枚です。
上田大作「エゾヒグマの親子」
「このクマは僕が近づくのを許してくれたんですね。ときどきハイマツ(這松)の影から、びっくりするくらい近い距離で出てきたり。クマは鼻がいいので、僕のニオイを完全に覚えてくれているんです」
被写体との距離をじっくり時間をかけて縮めていくのが上田さんの撮影方法。風蓮湖の漁師さんとの関係も、大雪山のヒグマとの関係も、「とことんまで付き合う」姿勢に変わりはありません。「この1枚」を撮るために、上田さんは何か月もじっと待ち続けますが、はたして自然のなかに身を置く感覚とはいったいどんなものなのでしょう。
「ひとりで山に入ると、不思議なことなんですけど、いろんなことが鮮明にわかってくるんです。物音ひとつでシカやクマが歩いているのがわかったり。僕も食物連鎖の一部だと意識することで、神経が研ぎすまされて第六感が働くような感覚がしてきます」
自然と長く向き合うことでわかる新しい感覚。みなさんも撮影を通じて、自分のなかからわき上がってくる“何か”に耳を傾ける、そんな体験が待っているかもしれません。
Information
十勝岳温泉(十勝岳温泉 湯元 凌雲閣)
住所 北海道空知郡上富良野町十勝岳温泉
※十勝岳温泉には、いくつか宿が点在しています。そのなかで一番高い標高に位置するのが、十勝岳温泉 湯元〈凌雲閣〉です。
※上富良野駅前から上富良野町営バス「十勝岳線」で約45分。「十勝岳温泉湯元 凌雲閣」下車。時刻表はこちらからご確認ください。