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【ドライブよりみち旅企画】北前船の道をゆく(PART3:東北海道編)北太平洋シーサイドライン爽快ドライブの旅。(前編)

○江戸時代の流通大動脈を担った、北前船による海上交易。その主流は日本海側を往き来する西廻り航路でしたが、後期には蝦夷地の太平洋側を航海する東廻り航路も開かれます。昨年の「PART1:南北海道編」「PART2:北北海道編」に引き続き、今回の「PART3:東北海道編」で巡るのは「北太平洋シーサイドライン」。十勝の広尾から根室の納沙布岬まで続く全長321kmに及ぶ海岸線の総称です。太平洋の大海原を眺めつつ爽快な潮風に吹かれながら、北海道最東端を目指すドライブ旅に出かけようではありませんか!

北前船の復元イメージ(写真提供:青森県野辺地町

 

<今回ご紹介するルート>

襟裳岬をスタートし、広尾、白糠、釧路、厚岸、根室を経由し、納沙布岬に至るルート。国道336号・38号・44号および道道142号・35号から成る全長321kmに及ぶ太平洋沿いのドライブコースです。

 

海上航路最大の難所と恐れられた、襟裳岬からいざスタート。

今回の出発地に選んだのは、襟裳岬。まずは岬の突端を目指し、爽快な空と大地が広がる一本道を進みましょう。

風速10mを超える強風が一年中吹き荒れ、牙のような岩礁が海面下の沖合8kmまで続く、北前船最大の難所と恐れられた岬です。日高山脈がそのまま太平洋に落ち込んでいく感じで、壮大な自然のドラマが間近に迫ってきます。

展望台の横には、おなじみ「襟裳岬」の歌碑がありました。

風をテーマにした体験施設「襟裳岬 風の館」。風速25mの強風体験や岩礁で日なたぼっこするゼニガタアザラシのウォッチングなどが楽しめます。

クジラのような巨大な雲が、太平洋の彼方へと続いています。何とも、雄大な光景です。

 

ところで、北前船の歴史の中でもっとも大きな功績を残した船頭といえば、現在の函館の基礎を築いた高田屋嘉平。1798年(寛政10年)、兵庫に新興の廻船業「高田屋」を興したばかりの嘉平は、当時まだ閑散とした小集落だった箱館(函館)に寄港した際、幕府の蝦夷地調査団から東蝦夷のアッケシ(厚岸)への官米・官物の輸送を依頼されます。

函館市に建つ高田屋嘉平の銅像

現在の函館の街並み

 

嘉平は箱館から恵山沖を経て一気に襟裳岬を目指し、巧みに岩礁を避けて岬を回り東蝦夷のアッケシに入りますが、これは当代随一の操船術を称えられた嘉平だからこそ成せるワザ。その後のほとんどの北前船は津軽海峡を一旦青森側へ渡り、下北半島の大畑湊で風を待ち、危険な襟裳岬沖を大きく迂回して向かうのが一般的でした。

復元北前型弁才船「みちのく丸」(写真提供:青森県野辺地町

 

この写真は正確には「北前型弁才船」といって明治初期に使われていた船を復元したもの。2005年(平成17年)に青森県、岩手県、北海道の船大工16名の手で建造され、「みちのく丸」と名付けられました。2011年(平成23年)には北前船ゆかりの港を訪ねる日本海周航事業も実施。現在は青森県野辺地漁港の常夜燈公園に展示されています。

 

海の難所はまた、陸の難所でもありました。国道336号のえりも町から広尾町までの33.5kmは通称「黄金道路」と呼ばれます。日高山脈が海岸まで迫り、難所中の難所となっていた場所で、黄金を敷き詰められるほど莫大な建設費用を投じたことがその名の由来。1927年(昭和2年)の着工から8年もの歳月を要して断崖を切り開き、1934年(昭和9年)開通。現在も、悪天候の日には通行止めになることが頻繁にあります。

切り立った断崖の下、「黄金道路」を広尾へ向かって進みます。

田園風景と砂浜が広がる道を、一路釧路へ。

広尾を過ぎると、ここからが「北太平洋シーサイドライン」の始まりです。すぐ右手には太平洋が広がりますが、道は田園地帯の中を縫うように走ります。

 

爽やかな雲が流れる空の下、牛たちが草を食べています。

牧草ロールは、初夏から秋にかけて各地で見られる北海道を代表する風景です。

田園地帯と海岸線の道をひた走ること約3時間。クルマは白糠(しらぬか)に入ります。

広尾からこの辺りにかけては長大な砂浜が延々と続き、かつては船を入れる湊がまったくなく、夏場は濃霧が発生するため、単調ながらも細心の注意が必要な海域だったといわれます。

白糠の恋問海岸では、赤いハマナスが海を見つめて咲いていました。

町の中心部には「白糠運上屋跡」の碑が建っています。白糠の歴史は古く、1632年(寛永9年)松前藩によるアイヌとの交易拠点「白糠場所」が置かれたのが始まりとされています。

 

夕暮れが迫ってきました。釧路の街はもうすぐです。

 

製紙工場の煙突が見えてきました。今夜は釧路で一泊です。

 

チェックインしたのは「ホテルエリアワン釧路」。釧路駅にほど近く、コンパクトで機能的なホテルです。一休みしたあとは、末広町へ繰り出してみましょう。

釧路を訪れたときに、必ずと言っていいほど立ち寄るのが「つぶ焼 かど屋」です。

ここのメニューのすごいところは、料理がつぶ焼とラーメンの2品しかないこと。まずは、「名物つぶ焼」をいただきましょう。

使い込んだ専用の台座に大粒の青ツブを香ばしく焼きあげたものが5個。柔らかくて、甘めのタレが出汁にベストマッチ!

「名代ラーメン」は釧路ならではの醤油味。真っ黒なスープは意外とあっさり風。飲んだ後の締めにつぶ焼とセットで頼むケースが多いようですが、人によっては最初の一軒目としてつぶ焼きをつまみに軽く飲み、他の店を回った後でもう一度立ち寄ってラーメンで締めるパターンもあるとか。

天気晴朗なれども霧深し。釧路から、難読地名ロードを抜け厚岸へ。

空は快晴で青空が広がっているのですが、海から霧の塊が押し寄せてきて、すぐ近くの建物が霞んで見えます。霧の街・釧路ならではの明るく幻想的な風景です。

光と霧が織りなす不思議な世界にすっかり見とれていましたが、そろそろ厚岸へと向かうことにいたしましょう。

厚岸へ続く道道142号は、北海道人でも読み方に戸惑うという“難読地名”が多いエリア。これらの地名は、アイヌ語の発音に漢字の音を当てはめたことがもとになっているからだそう。さあ、ここからが地名の読みと意味当てクイズラリーの始まりです。

 

いきなり最上級編!「アッチョロベツ」は現在「嬰寄別」と書くそうです。「楡(ニレ)の木の皮を漬けて置く川」という意味になります。

「来止臥」は「キトウシ」。これは読めました。「ギョウジャニンニクのあるところ」の意味だそうです。

「浦雲泊」とあります。「うらくもとまり」?いいえ、「ポントマリ」です。「舟をもやいでおける場所」という意味です。

「跡永賀」は「アトエガ(カ)」。かろうじて読めそうです。「昔は海だったところ」という意味らしいです。

「仙鳳址」は「センポウシ」。わりとそのままです。「小魚のいるところ、ニシンが多くいるところ」という意味です。頭の中のモヤモヤも一掃、爽快ドライブを続けましょう。

 

 

後編へつづく

PART1:南北海道編」

PART2:北北海道編」

 

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