HOKKAIDO
【ドライブよりみち旅企画】北前船の道をゆく(PART3:東北海道編)北太平洋シーサイドライン爽快ドライブの旅。(後編)
○江戸時代の流通大動脈を担った、北前船による海上交易。その主流は日本海側を往き来する西廻り航路でしたが、後期には蝦夷地の太平洋側を航海する東廻り航路も開かれます。昨年の「PART1:南北海道編」「PART2:北北海道編」に引き続き、今回の「PART3:東北海道編」で巡るのは「北太平洋シーサイドライン」。十勝の広尾から根室の納沙布岬まで続く全長321kmに及ぶ海岸線の総称です。太平洋の大海原を眺めつつ爽快な潮風に吹かれながら、北海道最東端を目指すドライブ旅に出かけようではありませんか!
東蝦夷地随一、天然の良港と称えられた厚岸へ。
再び国道44号へ戻ります。厚岸のシンボルともいえる大きな赤い橋が見えてきました。
厚岸湾と厚岸湖の間に華麗に横たわる「厚岸大橋」です。厚岸ブルーの空と海の間に赤いラインが美しく映え、しばし見とれてしまいます。
厚岸の歴史はひじょうに古く、文献に初めて「アッケシ」の名が登場するのは、寛永年間(1624~1645年)のこと。松前藩がアッケシ場所を開設したという記録が残っています。さらに町内では、縄文時代前期~中期の住居跡も見つかっており、天然の良港と豊富な海産資源に恵まれたこの地では、約6000年前から人々の暮らしが営まれていたことを伺い知ることができます。
厚岸湖の牡蠣は町特産のブランド品。牡蠣島の弁天神社が豊漁を見守り続けています。
1799年(寛政11年)、幕府は東蝦夷地を「天領」すなわち幕府直轄地とします。南下を続けるロシアの脅威に備えるためです。その際の最大拠点となったのが、古くから良港として知られていたアッケシでした。
この国泰寺は1804年(文化元年)に建立されたもの。蝦夷三官寺のひとつとなります。山門の扉には将軍家の家紋である「葵(あおい)の紋」が、「ええ~い、控えい!これが目に入らぬか~」とばかりに、威光を放っておりました。
海と人との関わりを学ぶ「厚岸町海事記念館」には、北前船の模型が展示されています。
この建物は、ウイスキー製造を行う「厚岸蒸溜所」。厚岸にはスコットランドのアイラ島に近い自然と気候条件があるといいます。それは、泥炭(ピート)層を通った仕込み水、海風が当たり霧が発生する冷涼湿潤な熟成環境の2つを指します。数年前からここでウイスキー作りを行っており、2018年2月からついに販売開始となった、いま話題のウイスキー蒸溜所なのです。
「厚岸NEW BORN FUNDATIONS 1,2,3」
それが、この写真のボトル。正確には、ウイスキーになる前の若い原酒で「ニューボーン」というもの。当初は熟成3年を経たものを2020年から発売する予定だったのですが、あまりの反響の大きさに数量限定で販売にふみきったそうです。「道の駅 厚岸グルメパーク(コンキリエ)」では、11月までの土日を中心に試飲付きの蒸溜所見学ツアーを実施中。残念ながら、ドライバーには試飲はNG!ソフトドリンクをいただきましょう(涙)。ウイスキーファンの方々は、クルマではなく万全の体制でぜひご参加を!
そろそろお昼になりました。厚岸駅前の「一福」に入ってみましょう。
かき飯やかきフライなど、メニューにはさまざまなかき料理が並びます。一瞬かきフライに惹かれましたが、「かきとじ定食」にさらに心を奪われてしまいました。サクサクの衣に包まれたかきが卵とよく絡み、じつに美味!あさりの味噌汁とも相性ぴったりの逸品でした。
腹ごしらえも済んだので、「愛冠(あいかっぷ)岬」へ行ってみましょう。「アイ・カップ」とはアイヌ語で「矢の上のもの(届かないところ)」という意味ですが、そこから「困難を乗り越えて愛の栄冠を得る」という思いを込めて名付けられたとか。いったいこの先、どんな困難が待ち受けているというのでしょうか?
駐車場では、エゾシカの親子がお出迎えです。これはどうも、ご丁寧に・・・。
続きまして、キタキツネの兄弟も「なんだ、なんだ?」とばかりに、飛び出してきました。
岬に近づくにつれ、霧が深まります。海霧が湧き上がってきているようです。
岬の展望台には「愛の鐘ベルアーチ」が。想いを叶える鐘として人気を集めています。晴れた日には大黒島が見渡せるそうですが、この霧の中で島影を見つけるのは至極困難。この霧は、乗り越えられません!けっきょく、愛の栄冠は私には得られなかったようです。
クルマは霧多布へ向かいます。
「霧多布湿原」では、ワタスゲの白い綿毛が一面に広がり、黄色いエゾカンゾウが咲き始めようとしていました。
海沿いを走ります。波は穏やかですが、濃い霧が海面を深く覆っています。
霧の中、二頭の馬が海辺で草を食んでいるのに出会いました。
「東恵茶人(ひがしえさしと)」を過ぎると、根室はもうすぐです。春から夏にかけて、根室は毎日のように霧が出るといいますが、半島全域がすっぽりと覆われている感じです。
ところで、高田屋嘉平は何十艘もの廻船を日本各地に運行させながら、ただの一度も難船・破船を出さなかったといいます。当時の和船が構造的に時化や嵐に弱く遭難が続出していたことを考えると、驚異的な実績です。卓越した操船術に加え、日頃から安全航行に徹したからなのでしょう。こちらも、嘉平さんを見習い、細心の注意で安全運転に努めていきましょう。
根室に入りました。根室港から弁天島を望みます。港湾部は霧が晴れているようです。
港を見下ろす丘の上に建つ「根室金比羅神社」。1806年(文化3年)、高田屋嘉平が幕府からネムロ場所の事実上の漁場請負人となった際に創建したものです。
嘉平の持ち船「辰悦丸」の絵が飾られていました。
境内には高田屋嘉平の銅像が、遙か北方領土を見渡すように建てられています。
今夜は根室で一泊。「根室グランドホテル」にチェックインしましょう。
夕食は、根室駅前の「ニューモンブラン」へ。根室の伝説的料理「エスカロップ」は、1963年頃に市内にあった「モンブラン」というお店で誕生。そこで勤務していた方が独立して「ニューモンブラン」として開業したそうです。早速、エスカロップを注文してみましょう。
筍入りのバターライスに豚カツがのっかり、デミグラスソースがかかっています。バターの風味とデミグラスソースの酸味が絶妙にマッチ!カツもジューシーでサクサクです。昔ながらの洋食屋さんというレトロな雰囲気が、美味しさをいっそう引き立ててくれています。
翌日は北海道最東端の地、今回のゴール地点である「納沙布岬」を目指します。
乳牛にとって暑さは大敵。霧に包まれた冷涼な気候と良質な牧草が健康で元気な乳牛を育て、おいしい牛乳を生み出しているのです。
納沙布岬は濃い霧に包まれていました。シンボル像「四島のかけはし」と「祈りの火」も、霧の中で霞んでいます。
晴れた日にはもっとも近い貝殻島はもちろん、国後島や択捉島の山並みが見渡せるといいますが、さすがにこの霧では見えません。隣の岬さえ霞んでしまっています。
北方四島は、納沙布岬の先にこのように横たわっています。1799年(寛政11年)、高田屋嘉平は国後島と択捉島の間の速い潮流を乗り切るルートを発見し、安全に択捉島へ渡る航路を開拓します。当時の択捉島は、マス、ニシン、イワシ、クジラ、ラッコなど、海産資源の宝庫。直轄する幕府と漁場を請け負った高田屋に莫大な富をもたらしたのでした。
市内の穂香地区にある「北海道立北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)」にも、嘉平にまつわる資料が展示されています。
これは、みごと!「辰悦丸」の精巧な模型が展示されていました。古平町の造船所の手によるもので、20分の1のスケールで精密に仕上げられています。
展望室から国後の方向を望みます。晴れた日には南端のケラムイ岬が、ちょうど中央にあるオレンジ色の看板の上辺りに見えるそうです。1812年(文化9年)、嘉平がロシア軍艦「ディアナ号」に拿捕されたのが、まさにこのケラムイ岬の沖にあたります。
ロシア海軍軍人ゴローニンの肖像画
ということで、「北太平洋シーサイドライン」の旅は無事ゴールインし、北前船の英雄・高田屋嘉平の足跡も追体験することができました。襟裳岬の強風に始まり、快晴に恵まれたかと思うと天候急変、一面の霧に包まれるなどキリキリ舞いさせられる連続でしたが、初夏から夏にかけての道東の旅の醍醐味はたっぷりと満喫することができました。今回のルートを参考に、この夏ぜひ、道東のドライブ旅をお楽しみください!
<今回ご紹介した市町村の観光協会等のホームページはこちら>
風のまち「えりも」観光ナビ
https://www.town.erimo.lg.jp/kankou/
箱館高田屋嘉兵衛資料館
https://www.hakobura.jp/db/db-view/2009/04/post-98.html
白糠町観光情報
https://www.town.shiranuka.lg.jp/kanko/index.html
釧路・阿寒湖観光公式サイト
http://ja.kushiro-lakeakan.com/
厚岸観光協会
浜中町観光協会
根室市観光協会
https://www.nemuro-kankou.com/
<当ホームページ内の主なリンク先はこちら>
釧路・阿寒湖・摩周湖・根室エリア
https://www.visit-hokkaido.jp/article/detail/45
厚岸道立自然公園
https://www.visit-hokkaido.jp/info/detail/152
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